℃-uteを結成前から見てきた私がラストコンサートのDVDを1年間見たくなかった理由/ソロとなった鈴木愛理の歌を聴きたくなかった理由
「私は℃-uteと一緒に成長した。」
大袈裟かもしれないが、私の人生の大半は℃-uteでできている。
22歳の私が、彼女たちを知らない日々は0歳から6歳の6年間だ。
だから、まるで古参主義のようなこの発言もどうか許してほしい。
はじめに、なるべく手短に℃-uteとの出会いを綴る。(恐らく無理)
彼女たちを初めて見たのは『ミニモニ。じゃムービーお菓子な大冒険!』と『仔犬ダンの物語』の映画を観たことがきっかけだ。当時は「モーニング娘。とミニモニ。が私と同じくらいの子と話してる!いーなー!」くらいに思ったのが映画の感想だった。
一緒に見ていた母は、まさかその同年代の子供たちに数年後自分の娘がドはまりするなんて思いもしなかっただろう。
その時は6歳だったので、その子供たちをハロー!プロジェクトキッズとは認識していなかった。
そして、確実に彼女たちを認識するのは9歳のとき。
飯田圭織さんの卒業コンサート『大乱舞』というコンサートDVDを親に買ってもらった。このコンサートは中澤裕子さん、松浦亜弥さん、後藤真希さんなど超豪華メンバー総出演のコンサートだった。もちろん、Berryz工房、そして残りのハロー!プロジェクトキッズも出演していた。(このコンサートのセットリストは未だに覚えているほど、擦り切れるほど見ていた。)
メンバー紹介のときに彼女たちはまことさんに「ハロー!プロジェクトキッズー!!」と紹介されており、そこで初めて彼女たちの名前(名称)を知り、又キッズにもしっかりカメラワークがついていたので彼女たちの顔はここで認識した。
℃-uteを初めて知ったのは11歳の時。
Youtubeで初コンサートの映像を見た。未だに不思議なのが、何故だか分からないがこの映像だけは目が離せなかった。様々なものに興味が移る小学生の私を引き付ける”何か”があり、毎日見ていた。
同時期に私は母に頼んでCutie Circuit 2007のDVDを買ってもらう。(これも未だにセットリストを暗記しているほど擦り切れるまで見ていた。テレビの前で一緒に踊ったりもしていた。)
また2009年13歳のときに、初イベント、初握手(Bye!Bye!Bye!の女性限定シリアルイベント)、初コンサート(キューティーJUMP!)に参戦している。
初イベントでペンライトのつけ方さえ分からず、やっとの思いで光った緑のペンライトを鈴木愛理ちゃんに振ったら手を振り返してくれたこと、コンサートで矢島舞美ちゃんと中島早貴ちゃんの2人を終わるまで逆に見ていたこと、初イベント前に出てきたキューティーガールズに「本物だ、、、。夢にまでみた℃-uteの、愛理と、ちっさーと、まいまいが、、、今、、目の前で、、コントを、、、披露している、、、」と初めて生で見た℃-uteの3人は歌とダンスではなくコントをしていたことなど、℃-uteとの思い出は語りつくせない。
そんな私は2018年5月に入るまで、事前予約までして購入していたラストコンサートのDVDを見ようとはしなかった。
もちろん、ラストコンサートには参戦した。DVDが届いたのは昨年10月。
なのに、今日の今日まで見ることはなかった。
見れなかった。
見たくなかった。
2017年6月12日、私は号泣するのだろう、悲しみに暮れるのだろうと思っていた。
コンサートが終わりホテルに戻ったら思いっきり泣こうと思っていた。
しかし、さいたまスーパーアリーナでみた最後の℃-uteの勇士が完璧すぎて、悲しみよりも感謝のほうが大きかった。
あまりにも℃-uteがアイドルとして最高峰な終わり方をしたから。
もちろん℃-uteの解散はショックだったけれど、こんな素敵なアイドルを長い間応援できてよかった、そして最後にこんな気持ちにさせてくれるアイドルを好きになれてよかった、と。
私の人生の全てだった℃-uteというアイドルグループがいなくなった6月13日も、普通に起床し、普通に大学へ行き、何事もなかったかのように1日を終えた。
「あれ?意外と℃-uteという存在がなくなっても、思ったより生きていけるぞ??」と、でも、「こんな気持ちになるなんて私にとって℃-uteはこれっぽっちの存在だったのか?」なんて思いながらも今日まで過ごしてきた。
しかし自分が思っていたより平気だった理由は、℃-uteメンバーが(芸能界を引退した萩原舞ちゃんも)SNSの更新を変わらずしてくれていたり、バラエティや舞台など個々の仕事をそれぞれ頑張っていたり、これまでの℃-uteとの思い出は消えないからだ。
そんな私がついにラストコンサートのDVDを見よう思ったきっかけ。
それは鈴木愛理の歌だった。
言い忘れていたが、私の推しは鈴木愛理である。
しかしこれも不思議なことだが、ラストコンサートを見れない理由と同じで、何故かソロになった彼女の歌を聴こうとはしていなかった。
これも聴けない、というより聴きたくなかったと言うほうが正しいと思う。
℃-uteが解散しても案外平気な私は「℃-uteがこれっぽっちの存在だったのか」と考えるのと同じように、推しである彼女の歌を聴かない私は「鈴木愛理を℃-uteありきでしか考えていないのか」と葛藤した。考えれば考えるほど心の底から自分が嫌になっていった。
そんな日々が続く中ライブやイベントで彼女が高く評価され、評判であることを知り、不意に聴いてみようと思い、初めてソロになった鈴木愛理の歌を聴いた。
#DMAFという曲を聴いた。
鈴木愛理の歌を聴き、改めて℃-uteは解散したんだと思い泣いた。
何故私はラストコンサートのDVDを見たくなかったのか。
私は℃-uteが解散した事実を受け入れていなかったから。
何故私はソロとなった鈴木愛理の歌を聴こうとしなかったのか。
彼女がソロになって歌う理由は℃-uteが解散したから。
頭では受け入れて何でもなかったかのように過ごしていたが、本当の、心の奥底の私は℃-uteの解散自体受け入れようとしていなかった。
解散から約1年経っても受け入れていなかった。
受け入れる覚悟を持つことができなかった。
やっと、やっと、約1年かかってようやく理解した。
℃-uteは解散した。
彼女の歌を聴き、自分の気持ちに気付いた後、ラストコンサートのDVDを初めて見た。
6月12日に流さなかった涙が流れた。
やっと、あの日流すはずだった涙が溢れた。
やっと、思いっきり泣いた。
私は6月12日から今まで「℃-uteは解散なんかしていない。ずっと活動している。」と自分自身に嘘をついていた。
やっと℃-uteは解散したという変わりようのない事実を現実として受け止めた。
℃-uteのみんな、長い間本当にお疲れ様でした。
私は人混みにトラウマがあって、個別握手会やサイン会、チェキ会には行けなかった。
握手会は全部でほんの数回で、最後のチェキ会だけ参加したかな。
でもね、私の毎日は℃-uteでいっぱいでした。
小学生のとき、初めて5人(8人)を見ました。℃-uteの存在を知りました。
中学生のとき、いじめられても帰り道℃-uteの曲を口ずさみ「私は大丈夫!」と勇気を出していました。
高校生のとき、必ずウォークマンで℃-uteの曲を聴きながら通学していました。
大学生のとき、℃-uteの解散を知りました。
1年かかって、℃-uteの解散を受け止めました。
こんなteam℃-uteもそうそういないよね笑
私にとって、℃-uteという存在が当たり前すぎて、私の人生のほとんどに℃-uteがいたから、私がこんな性格だから、解散を理解するのにこんなに時間がかかってしまいました。
でもね、やっと受け入れたよ。
矢島舞美ちゃん、中島早貴ちゃん、鈴木愛理ちゃん、岡井千聖ちゃん、萩原舞ちゃん、本当に私も楽しい青春だったよ。
青春のほとんどを℃-uteと過ごせたことは私の誇りです。
そして、そんな青春時代をアイドルに、℃-uteに捧げてくれて本当にありがとう。
私のこれまでの人生は、悲しい事や辛い事の方が多い人生だったけど、℃-uteがいてくれたおかげで乗り越えられたよ。
本当にありがとう!!!!! !!!
受け入れた私は、みんなと同じように、前に進みます。
P.S.
鈴木愛理ちゃん、私にとってラストコンサートのDVDを見るきっかけになる歌を歌ってくれて本当にありがとう。